追跡 独ソ戦 第二編「対独戦勝記念日」

 対ドイツ戦勝記念日である5月9日、ロシアは愛国一色に包まれる。ロシア国中の街で、戦勝のシンボルカラーであるオレンジと黒のストライプの飾りが至る所に掲げられる。首都モスクワでは、午前十時の祝砲とともに、赤の広場に終結した軍隊と軍用車が街の目抜き通りを練り歩き、空には軍用機が赤白青のロシア国旗のストライプを描き出す。

 戦勝記念公園では、当時の戦争を戦って得た勲章をつけ、晴れ着を着た老人たちが、若い人々や子供たちから花を捧げられている光景をあちこちで見ることが出来、夜には、何十何百という花火が打ち上げられる。

 一連の祝祭は、“大祖国戦争”と呼ばれるあの戦争に勝ったのだという事実を再確認し、それを若い世代に継承するものであり、必然的に、その相手がドイツだったという事実にも触れられるのだが、ドイツを憎んだり恨んだりしている空気は、ほぼどこにも感じられない。自分が目にしたロシア人たちは、屈託なくロシア人としての誇りを称えあっていて、それ以上の何も無いように見えた。

 果たしてロシア人はドイツ人を憎んでいるか。自分は、そのことを、親しいロシア人の何人かに聞いて見たが、答えはやはりНет(ニエット/No)であった。「何故ならそれは、イデオロギーの激突だったからです。あれはナチズムとコミュニズム/共産主義の戦争だった。自分達が戦ったのは、ナチズムであってドイツ人ではない。」と、あるロシア人は言った。

 自分が独ソ戦を調べることによって知りたいことのひとつは、まさにその点にある。あの戦争を行った当時のナチスドイツと現在のドイツ、そしてスターリン体制下のソ連と現在のロシアは、果たして完全に不連続なものなのか。

 確かに、現代のロシア人は、共産主義をもはや微塵も信じていない。そのようなものは、1990年代初頭に、建前も本音も含めて全て捨ててしまった。それからもう25年にもなる。90年代にはそれまでの自信の何もかもを失って、それを乗り越えた先に今日のロシアがある。

 共産主義。あれは、一過性の熱病のようなものだったというのが、現代ロシア人の一般的な理解である。何故あのようなものに突き動かされたのか。今となっては、あの時のロシア人を支配した空気を理解することは、当のロシア人にも難しいかもしれない。それは恐らく、ドイツ人とナチズムの関係においても同様であろう。

 しかし、ロシア人にせよ、ドイツ人にせよ、あの頃のように、幾つかの不幸な条件が揃ってしまうことが仮にあったとして、その時でも、あの種の熱病を再び発症することは絶対にないと、果たして本当に言い切れるのだろうか。

 共産主義の名のもとに執行されたスターリンの狂気としかいえない大粛清にも、ヒトラーが唱えた選民思想や彼が指揮した侵略戦争にも、自分は、そこに、合理性というものを全く見出せない。表面的なレトリックを剥いだそれらの本質が、理性や理屈でないことはほぼ間違いない。イデオロギーという言葉ももはや当たらないかもしれず、情念と呼んだほうがよりふさわしいかもしれない。

 それは、国民的なレベルでの情念の大爆発と呼ぶべきものだったのではないか。スターリンもヒトラーも、その渦巻く情念の象徴として、独裁者の椅子座ることを求められたに過ぎないのかもしれない。

 同じ時期、国民的な情念の大爆発が国家を動かし、世界に波乱を起こしていた例が、世界にもうひとつあった。日本である。司馬遼太郎氏は、それを「四十年」と称した。日露戦争勝利後から太平洋戦争敗戦までのその狂気の四十年と、本来の日本人は、どこまで不連続なものなのか。あの過ちを二度と犯さないと、果たして我々日本人は、どこまで確信を持って言えるのか。

 司馬氏は、その本質に迫るために「四十年」以前の日本について膨大な書を残したが、それと四十年とがどういう関係であったかという一番の核心については、ついに自ら筆を執ることなく、それを後世に委ねた。同氏はこうコメントしている。

「トラファルガーの海戦のさなかにネルソンは死ぬ。『私は私の義務を果たした』と言い残す。私がもう小説を書かないのも、私の義務を果たしたからです。」

 モスクワの戦勝記念公園で、胸に勲章をつけ、花を授けられている老人たちの殆どは、もはや自分ひとりでは歩くことが出来なかった。あの戦争が終わってから、来年で70年になる。もうあと数年もすれば、あの公園で若者から花を授かる老人を目にすることは出来なくなるだろう。

 「5月9日の戦勝記念日は、あの戦いでの勝利を確認することで、ロシア人が自らの誇りと団結を確認する日であり続けた。しかし、戦後70年が経とうとする今、我々は、この日に別の意味を見出すべき時期にさしかかっているのではないか。」というあるロシア人の手記を目にした。

 同じことは、世界中で言えるのだろう。70年前の終戦に至るその前に、そもそも何が起こり、何故それが起こったのか。そこには、一過性だけでは済まされない何かがあったはずであり、それが何かを正しく認識することこそが、過ちを二度と繰り返さないための鍵であると思う。

 第二次世界大戦で人類が学んだことは、進化しすぎてしまった兵器により、大国間の利害の対立を戦争によって解消することは、もはや出来ないということであった。当時の人々は、戦争はもう出来ないという事実は肌身にしみて実感したはずだが、何故こんなことになってしまったのかについては、十分な理解は出来なかったのではないかと思う。

 何故とは、主観ではなく客観である。そして、時代というものを客観的に理解するためには、一定の時間の経過が必要である。

 70年の時を経て、今、改めてその時代を見つめ直すことに、大きな意義があるはずである。自分は、日本の「四十年」について、いずれ、真正面から向き合ってみたいと思う。そのためにも、今、ロシアにいるうちに、見るべきものをすべて見ておきたいと思うのである。(2014年5月)

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坂本 航司

神戸出身・パリ在住。

スペイン、メキシコ、オランダ、ロシアの各国を経て、現在はフランスに駐在。ロシア駐在中に単身になったことをきっかけに、元々好きだった写真撮影を再開し、МФК PHOTOS に加入。 そこで出会ったオールドレンズの世界にはまり、ソ連、東独系のレンズを好んで使っている。

歴史や文章を書くことも好きで、独ソ戦に興味を持ち、ロシア駐在をきっかけに、個人的なルポ を書いている。

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