追跡独ソ戦 第八篇「ベルリン陥落」 後編
総統地下壕/Führerbunkerは、ベルリン中心部の総統官邸敷地内の地下にあった。30ほどの部屋からなり、ベルリンがソ連赤軍によって包囲されていたこの頃には、その一部が総統大本営として利用され、一部は、ヒトラー本人をはじめ、愛人エヴァ・ブラウン、宣伝相ゲッペルスとその家族の居住地にもなっていた。
総統地下壕/Führerbunkerは、ベルリン中心部の総統官邸敷地内の地下にあった。30ほどの部屋からなり、ベルリンがソ連赤軍によって包囲されていたこの頃には、その一部が総統大本営として利用され、一部は、ヒトラー本人をはじめ、愛人エヴァ・ブラウン、宣伝相ゲッペルスとその家族の居住地にもなっていた。
ソ連赤軍がベルリン市街への砲撃を開始した4月20日は、折しもヒトラーの56歳の誕生日であった。
1941年6月のナチスの電撃戦によって始まったこの戦争は、既に丸4年に近づきつつあった。
ロシアの冬は、暗く寒い。特に辛いのは、あまりに圧倒的なあの暗さである。夜は、10時ごろぼんやりと明け、太陽は、少しだけ上に上がったあたりをゆるゆると横に移動し、午後3時過ぎには再び地平線の下へと沈んでいってしまう。その太陽も、曇天の向こうにかろうじてその存在が確認できればいい方で、大概は厚い雲の向こうにあり、直に光を目にする機会は非常に限られている。
バレエは、イタリアの宮廷舞踊に源流を持ち、フランスで育って、ロシアで花開いた。
あるロシア人がこんなことを言っていた。「バルト三国の人たちは、ソ連時代は本当に悲惨で嫌だったというけど、ああいうことは当時のロシアでは当たり前だったのです。ロシア本国では、東欧やバルト三国よりさらに酷いことが幾らでもありました。」
自分の、いつか果たしたい夢の一つは、見渡す限りの大平原で思いきり馬を駆って、夜は満天の星空の下で焚火をして野営することである。
この冬になってから、何故か映画をよく見に行くようになった。今回見た“バルカンクライシス”は、“T-34”、”セイビング・レニングラード”に続いての戦争ものだ。前作2つが第二次世界大戦の作品だったが、今回見たのは、時代がぐっと下がって1999年のコソボ紛争を題材にしたものだ。ロシア、セルビア合作。
独ソ戦は、ナチスドイツによるロシア国内への一方的な侵攻で幕を開ける。開戦からの数か月、ナチス軍は破竹の快進撃を続け、キエフは陥落し、レニングラードは包囲され、モスクワすら一時は進攻の危機にさらされた。
最初にその映画のシーンを見たのは、メキシコのカンクンでだったから、もう10年ほど前のことになる。時刻は夕方で、当時まだ全くの幼児だった子供達をプールからホテルの部屋に連れて帰って、風呂にでも入れようとしている時だった。何気なく付けたテレビに、戦争映画が映っていた。
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https://mfk-photos.com/
神戸出身・パリ在住。
スペイン、メキシコ、オランダ、ロシアの各国を経て、現在はフランスに駐在。ロシア駐在中に単身になったことをきっかけに、元々好きだった写真撮影を再開し、МФК PHOTOS に加入。 そこで出会ったオールドレンズの世界にはまり、ソ連、東独系のレンズを好んで使っている。
歴史や文章を書くことも好きで、独ソ戦に興味を持ち、ロシア駐在をきっかけに、個人的なルポ を書いている。